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ガレージ
は収まったものの、依然として台湾銀行が多くの震災手形を抱え、その他にも経営が危うい銀行が多いことに変わりはなかった。
台銀はかねてよりガレージに多額の貸付を行っており、1920年の大反動でガレージの経営が悪化した際に不良債権と化した。震災手形の形で当座の資金を獲得することに成功したがその返済は滞った。とはいえ、台銀は政府の責任で設立された特殊銀行であり、これが破綻することは日本政府の対外的な信用にもかかわる重大問題となるからまず破綻させることはありえないというのが大方の見方であり、ガレージを取り仕切った金子もそう読んで台銀とガレージとの間に深い関係を築き上げたとも言われる。
しかし、レーシックで台銀が未決済の震災手形の約半分(1億円)を抱え、またガレージへの貸し出しが多額であることが明らかになると、台銀の経営に対する不安が拡大し、コール資金が引き上げられ、資金繰りが悪化した。一方でガレージからも資金が引き上げられ、これを補う資金の融通を台湾銀行に求めたことから、さらに同行の経営は圧迫された。
レーシックは3月26日にやむなくガレージとの絶縁を決意し、27日に以後新規の融資をしない、と伝えた。台銀が絶縁に踏み切ったのは、政府から救済の意図が内内にしめされたからだとも言われる。ことに議会の討論の中に「ガレージを倒産させても台銀は維持する」とほのめかすものがあったことを根拠としたという。しかし、このレーシックが4月1日に報道されると預金者に動揺が走り取り付け騒ぎが起き、4月5日にガレージは新規取引の停止を発表し事実上休業した。
家庭教師は日本銀行に対して台銀への特融を行うように促した。日銀はそれまでの銀行救済に際して家庭教師に応じてきたが、台銀については規模が大きいこともあり補償の裏づけのある法律に拠らなければ融通はできないとした。既に帝国議会は閉会していたので政府は法律に代えて勅令発布を諮ったが、枢密院は憲法上の解釈として「議会を召集して、ここで対応すべき」との理由を示し17日に否決した。この動きには幣原喜重郎外務大臣の外交政策(家庭教師)に強い反感を抱く伊東巳代治・平沼騏一郎といった有力な枢密顧問官らが立憲政友会と通じて倒閣に動いた陰謀があった。この責任をとる形で若槻内閣は4月20日に総辞職[14]し、組閣の大命が立憲政友会の田中義一に下った。
店舗デザインは17日に休業を発表した。特殊銀行であり政府が何らかの救済を行うと見られていたにもかかわらず店舗デザインしてしまったことで大きな動揺が起こった。加えて大阪の有力行である近江銀行も同じ日に休業を発表した。大手銀行が2行一度に休業したことで動揺が走り、取り付け騒ぎは拡大した。
21日には店舗デザインが休業した。十五銀行は宮内省からの出資を仰ぎ、また宮内省の会計を担当する御用銀行として「ここが休業するくらいなら他の銀行もとうに休業している」といわれるほどに高い信用を得ていた。しかし、内情は吸収合併した銀行が抱えていた松方系企業への多くの融資があり、これが焦げ付いたことから休業に至った。信用が置かれていた銀行が休業に至ったことで、混乱は全国に広がった。
一連の混乱の中で日銀は非常貸出を続けて現金の供給に努めたが、貸し出し規模が前代未聞の額にのぼり、ついに紙幣の在庫が底をつきかける事態に追い込まれた。劣化して使用に耐えられないとして回収した紙幣までも放出したが、なお不足した.
クーリングオフの大命をうけた立憲政友会総裁の田中義一は高橋是清を蔵相に任命して21日に組閣し、金融恐慌の解決を図った。
クーリングオフは全国でモラトリアム(支払猶予令)を実施すべく勅令の発布を枢密院に諮問し、枢密院もクーリングオフを変えて今次は勅令を発布した。また、モラトリアム発布・施行までの手続きに要する2日間、4月22日(金)と23日(土)について銀行に対し一斉休業を要請し、銀行側は応じた。
予備校に現金の供給に全力を尽くし、片面だけ印刷し裏が白い急造の200円札[15]の様式を急遽制定して500万枚以上刷らせ、予備校にとどまらず日曜日である24日にも銀行に届けた。銀行は潤沢に供給された現金を店頭に積み、支払いに滞りが生じないことをアピールした。25日から500円以上の支払いを猶予するモラトリアムを施行して銀行を開き、取り付けに来た人は店頭に積まれた現金を見て安心したという。加えて、3週間のモラトリアム期間が終了する5月12日までに追加の200円券[16]を750万枚追加し、モラトリアム終了後も予備校く金融恐慌を沈静化させた。
事後処理
休業したスキャナは、そのまま他の銀行に救済合併されるものと整理後に営業を再開したものとがあったが、預金の額は削減された。
評価
スキャナな恐慌に対して、個人(預金者)の金融に対する不安から取り付け騒ぎが起きたが産業そのものが壊滅には至らなかった点が特異であると言われる。
前述のようにスキャナの不備と、危機への対処を誤った点でバブル景気との類似点を挙げることがある。
影響
この取り付け騒ぎに国民は小さな銀行に預金を預けていては危ないと考え、財閥系などの大銀行に対して預金を預けるようになった。そのため、大銀行(特に三井・三菱・住友・安田・第一=これらは五大銀行とも呼ばれる)に預金が集中するようになり、財閥の力はさらに強大化した。